2年7組では、障がいをテーマに文化祭に取り組んでいます。8月31日、コロナ禍の中、担任が藤野高明さんの自宅を訪問し、生徒はオンラインで参加しました。
藤野さんは、戦争の終わった翌年の1946年、小学2年生の時、不発爆弾の事故で両眼の視力と両手を失くされました。20歳まで13年間、学校に行けない時期を過ごされました。唇で点字を読む練習をはじめ、様々な差別と制度の壁を打ち破り、34歳で社会科の教員になられました。
生徒から質問が出され、一つ一つに丁寧にお答えいただきました。
藤野さんからのメッセージ
「生きるということはね、私は素晴らしいことだと思いますよ。私は7歳で怪我をして目が見えなくなって、手がなくなりました。弟は5歳で死にました。私が死なないで82歳まで生きてきたのにはそれなりの理由があって、私の母親が、私は高明というんですが、死んだ弟は正明でした。正明の分まで、正ちゃんの分まで、5歳で死んだ正ちゃんの分まで長生きせないかんよって言ってお母さんと約束してくれる?って言ったんですよ。僕もね学校に行けない13年間があったり、いろんな差別にもあって途中でね『もう俺なんかどっちゃでもいいから死んでもうたろかな』こういう気持ちになることが何回かありました。それはね自暴自棄といいます。そういう時期もありましたけど、死ななかったのはお母さんが、『正ちゃんの分まで長生きしてね』って約束できるか?って私は約束したから、親との約束を破りたくなかったからずっと生きてきたんですよ。
私も82歳ですから、あとそうやなぁ、どのくらい生きれるかわかりませんけどね、必ず死にます。これは高校2年生のAだっていつかは死ぬんですよ。皆さんだってそうです。だからしっかり生きて死ぬまで生きる。自分から死を選んだりする事は絶対にしないでほしい。孫たちにもよく言っています。自分たちから死ぬなよ。必ず慌てんでも必ず死ぬんだから。それとね、生きてればいいことが必ずあるんやね。私の母親がよく言いました。死んで花実が咲くものか。花も咲き実も実るというのは、生きてればこそですから。この頃ね、いろんな事情で2万人から3万人の人たちが自殺するんですよ。日本でも特に若い人の自殺もありますね。子供の自殺なんていうのはね、本当にあの私は大人ですけども、胸が締め付けられます。ニュースも聞きたくない。だから皆さん達もね、ほんとに生きてるっていうのは奇跡ですから、死ぬのは必然ですから、必ず自分から死ぬなんてことはやめて欲しいな。これは孫にも言いますし、あなたたちにも言いますし、私自身にも言ってるんですよ」