おはようございます。今日から2学期がが始まりました。
今年も猛暑の夏休みでしたね。7月は、80年間の世界の観測史上、最も平均気温が高かったそうです。熱中症や豪雨被害は大丈夫だったでしょうか。気候危機が、本当に大変なところに来ていると実感します。
この後、生徒たちが「スタディーツアー」の報告をするので、今日は1つお話しします。
8月は、原子爆弾が投下された月で、戦争や平和に関するニュースや特集番組がたくさんありました。その中で、中学生に実施したアンケートで気になる結果がありました。
「原爆がどこに落とされたか?」という質問に対して、「ヒロシマ・ナガサキ」と答えられなかった生徒が35%「原爆を落とした国はどこか?」という質問に対してアメリカと答えられなかった中学生が18%いました。
原爆が投下されて78年、被爆者の平均年齢は85歳を超えましたが、その38%が「原爆の恐ろしさが次の世代(つまり私たち)に伝わっていない」と感じているそうです。
ロシアによる核兵器の使用が懸念され、被爆者の体験を直接聞くことが年々難しくなっていく中で、8月の始業式で、原爆について少しでも皆さんの心に残る話をしたいと思い、資料を2つ用意しました。
1つ目は、映像です。原爆が投下されたらどうなるかというCGです。5分ほどですので、観てください。
わずか10秒の出来事と解説されていました。その後、ヒロシマ・ナガサキは火の海に包まれ、「黒い雨」が降り、人々は放射能による苦しみに見舞われます。
「熱線」「爆風」「放射能」という破壊力を持つ原爆は、他の兵器とは全く異なる「非人道的な兵器」です。映像は、核兵器の中の「原爆」のものです。その後開発された「水爆」は、この「原爆」の1000倍の威力を持つと言われています。
2つ目は、写真です。
原爆によって人間はどうなるのか、写真を見てください。(見るのが辛い人は話だけ聞いていてください)
見たことがある人もいると思いますが「赤い背中のヒバクシャ」と呼ばれた谷口稜曄さんの被爆当時のものです。谷口さんは、16歳の時、郵便配達の仕事中にナガサキで被爆されました。爆心地から1.8キロ離れた地点でした。
入院生活は3年半。そのうちの2年間はうつぶせのまま動けず、胸は床ずれで骨まで見え「治療が痛くて、毎日殺してくれと叫んでいた」そうです。
背中の手術は20回行われました。それでも、この身体で原爆の酷さを伝えるために講演活動を続けてこられました。朝8時半から夜8時まで1日に5回連続で話したこともあったそうです。谷口さんは、座席にもたれることができないにも関わらず、長時間のフライトに耐え、25回も海外に行って証言をされました。
国連で自分の写真を掲げながら「私は見世物ではありませんが、どうか目をそらさないで、もう一度見てください。長崎を最後のヒバク地に!私を最後のヒバクシャに!」と訴えかけられています。谷口さんは、6年前の2017年、88歳で他界されました。
今、多くの被爆者が「講演しているとこれまでにない雰囲気を感じることがある」とおっしゃっています。若い世代が「日本も核武装しなければならないのではないでしょうか?」と真剣に質問するそうです。
「1人ひとりの人生に目を向け、谷口さんの背中が、自分の背中だったら、親の背中だったら、愛する人の背中だったらと考える想像力を持ってほしい」と被爆者は語られます。
高校生も様々な取り組みをおこなっています。この8月、22名の高校生が「国連平和大使」として核兵器廃絶の署名を持ってスイスのジュネーブにある国連事務局に訴えに行きました。集めた署名は62万筆。実は本校からも生徒が参加しました。2年7組のAさんです。被爆国日本の高校生の代表として国連で訴えて来てくれました。
「微力だけど無力じゃない!」これは高校生の平和の取り組みの合言葉です。
2学期、「文化祭」で平和や命の問題を考えるクラスがたくさんあります。自分に何ができるか、追求していってください。
最後になりますが、長い休暇明けの2学期初めは、リズムを作りにくく精神的に重くなりがちです。何か苦しいことがあったら、ささいなことでも相談してください。
担任の先生に相談しにくい時は、保健室の先生やカウンセラーの先生、サポートルームの先生もいます。大阪府の24時間の電話相談室やLINE窓口も利用できます。一人で抱え込まず、いつでも相談してください。
みなさん、厳しい残暑がしばらく続くと思いますが、いいスタートを切ってくださいね。以上で第2学期の始業の挨拶を終わります。
校長