かつて大阪暁光高校は、九州修学旅行に行っていました。写真は渡辺千恵子さん。ヒバクシャです。原爆の生き証人として、毎年お話を伺っていました。
今日の長崎平和式典で渡辺さんが紹介されました。
《長崎平和宣言より》
・・・核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。15万人もの死傷者をもたらした原子爆弾の投下から11年後のことです。
被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると会場から
「写真に撮るのをやめろ!」「見世物じゃないぞ!」
という声が発せられ騒然となりました。その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」
核保有国のリーダーの皆さん、この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが・・・。
渡辺千恵子さんは、修学旅行の講演の最後にいつもこう語られました。
「若いみなさんが、平和の問題を真剣に考えてくださることが、私たち被爆者が生きていく大きな大きな支えになります。未来は若者たちのものです。どうやったら核兵器のない平和な世界を築けるのか、若い知恵とエネルギーで考え、そして行動していってください」
渡辺さんは、1993年に63歳で亡くなられました。ヒバクシャの平均年齢は85歳。私たちは直接戦争体験を聞くことができる最後の世代です。
【校長】
平和祈念像 ⇒空を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばす左手は地上の平和を、軽く閉じられた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈っていると言われています